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ずうずうしいお願いでも聞いてくれる頼み方




街頭募金で寄付を求められたとき、すぐに立ち止まって募金箱にお金を入れる人は少ないでしょう。たいていの人は、引きとめられないように、足早に募金箱の前を通り過ぎていきます。

ですが、そんなとき「1円でもいいですから」と言われると、つい「入れようかな」という気持ちが起こるものです。いまどき、1円では何も買えないし、道で落としても気づかない金額です。「1円でも欲しいくらいに困っているのか」という同情心が起きるかもしれません。

でも、いざ募金するとなると、「本当に1円でいいのだろうか」という気持ちも起きてきます。「どうせなら、100円入れたほうがいいのではないか。さっきパチンコで勝ったから、500円入れようか」といった気持ちが芽生えることもあるでしょう。

これは、「1円でもいいですから」と非常に小さな金額を聞いたことで、寄付するという行為への心理的抵抗が緩和されたためなのです。いったん、心理的抵抗がなくなると、人は求められた以上の負担にも、抵抗感がなくなっていくのです。

このことは、実験でも確かめられています。


アメリカのチアルディニとシュレーダーが行ったもので、ガン協会から来たと名乗る男女二人組みが家庭訪問し、寄付を頼むというものです。
このときの頼み方には二通りあり、ひとつは「いくら寄付していただけませんか」というもので、もうひとつは、「1セントでもけっこうですから、寄付していただけませんか」というものです。

こうして、それぞれ42軒ずつ訪問したのですが、両者の頼み方には次のような違いが見られました。

前者の頼み方では、寄付に応じてくれたのが12軒で、全体の29パーセントでした。寄付金の総額は18ドル55セントで、1軒当たりにすると1ドル54セントです。

いっぽう、「1セントでもけっこうですから」と頼んだほうは、前者の倍近い21軒の家が寄付に応じてくれました。寄付金の合計は30ドル34セントで、1軒当たり平均1ドル44セントでした。

1軒当たりの寄付金額には大きな違いがありませんでしたが、応じてくれる軒数には倍近い差が生じたのです。
これは「1セントでも」といわれることで、寄付に対する心理的抵抗が少なくなったからと考えられています。そして、「1セントでも」といわれながらも、現実には1ドル程度の寄付をする人が多かったというわけです。

もっとも、この「○○でもけっこうですから」というときの金額は、いくらでもいいわけではありません。この実験では、後日、「1ドルでもけっこうですから、寄付していただけませんか」と頼むケースも加えられました。

結果は「1セントでもけっこうですから」と頼んだ場合とくらべて、寄付に応じてくれた家庭は急減し、「いくらでもけっこうですから」と頼んだ場合と、ほぼ同数だったようです。

これは「1ドル」という金額では、心理的抵抗をなくす効果がなかったからと考えられます。「○○でもけっこうですから」と頼むときには、相手から「えっ、そんなに安くてもいいの」と思わせることが大事なのです。

むろん、これはお金以外のケースでも同様のことが言えます。


好きな女性に対して、いきなり「つき合ってください」といっても、相手はOKしにくいです。最初は、「いっしょに昼ご飯でも食べませんか」「コーヒーでもいかがですか」という低いハードルで、心理的抵抗をなくしておきます。すると、後日、夕食、ドライブに行くといったOKも、引き出しやすくなるのです。





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